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プロフィール

 プロフィール

消防団出初式
消防団出初式


  •  経歴 
     上田高校から横浜市立大学に進学。
     八十二銀行に入行。支店勤務の後
     情報処理会社ハイコム設立に参画。
     現在のインターネットバンキング
     の草分け的な仕事に従事。
     その後、長野経済研究所に出向。
     調査グループチーフ、経営コンサ
     ルタントとして県内企業の経営支
     援に取り組む。
     2008年銀行を退職し、東御市
     会議員に挑戦し当選。広報調査特
     別委員長、産業建設委員長を歴任。
     現在3期目。
  •  年齢 67才
  •  公職 
     ・東御市議会議員
     ・社会文教委員会副委員長
     ・議会活性化調査研究委員長
     ・議会運営委員
     ・病院等運営協議会委員
     ・上下水道事業運営委員会委員
     ・東御市社会福祉協議会評議員
     ・しげの里づくりの会役員
  •  職業 農業(ぶどう栽培)
  •  趣味 
     ・山登り・山菜取り・将棋
     ・野菜作り・郷土史研究・水彩画
  •  家族 妻・1男2女・猫たち

 私の生い立ち

3人兄弟の真ん中

子供たちとともに

私は昭和24年に東御市の滋野で男ばかり3人兄弟の次男として生まれました。父は高校教師、母は兼業農家でした。当時わが家では養蚕と稲作、そしてりんご栽培を行なっていました。父と母は決して豊かではないわが家の財政状況の中で、兄弟3人を大学まで出してくれました。私は一浪して上田高校から横浜市立大学商学部に入学しました。

大学を卒業後地元に帰って就職したいと思い、八十二銀行に入行しました。田中支店をかわきりに小諸支店・熊谷支店を歴任しました。熊谷支店では当時珍しかったマイコン(パソコン)にはまり、自分でプログラミングし業務で使っていました。

私は小諸支店時代に結婚し、熊谷支店の時一番下の子が生まれました。写真は長野勤務の時の社宅で撮ったものです。

コンピュータとの出会い

私の初めてのパソコン

そんなことがきっかけで銀行の情報処理会社に出向することになり、コンピュータバンキングの草分け的な仕事を経験しました。初めての仕事ですから手本はありません。全て自分で考えて仕事をこなしてきました。そんな中で仕事の面白さを味わいました。

そんな仕事を5年ほど行い軽井沢支店に転勤になりました。軽井沢では営業課長として営業の最前線で仕事をしました。ちょうどバブルが終息に向かう頃で、部下管理の難しさやふるわない業績に悩んだものでした。

写真は最初に購入した当時人気だったNECPC8801mkⅡというパソコン
です。ワープロや表計算などに使っていました。

研究所での仕事

研究所での勤務

その後長野経済研究所に出向となりました。この研究所は銀行が設立した財団法人です。研究所の勤務は1995年の阪神淡路大震災の翌月から、市会議員選挙で退職する2008年まで13年に及びました。

最初は調査グループのチーフ、そして経営相談グループに移り事務局次長として経営相談や企業研修を手がけ、その後人事制度コンサルタントとして企業に出向いて仕事をしてきました。企業の担当者と一緒に問題を分析し解決策を考え、実行するという仕事は私の性分にあっていました。

写真は研究所に転勤したときのものです。まだ髪の毛もふさふさしていま
した。若かったですね。

趣味で始めたパソコンとのかかわりでしたが、それが仕事になり、さらに
情報処理という点から研究所の勤務にまでつながりました。いわばパソコ
ンが私の仕事に広がりをもたらしてくれました。人生何が幸いするかわか
らないものです。

住民運動とのかかわり

送電線お祝いの会

そんな中で地域のPTA活動や公民館活動にもかかわるようになりました。支店勤務であれば残業漬けの毎日でとてもそんな時間はありませんが、研究所の場合定時で帰ることができました。

平成10年に中部電力の送電線反対運動が起こり、私は区の3役であったため運動にかかわることになりました。平成14年には中部電力から計画の白紙撤回が通告され問題は解決しました。そんな中で行政や議員さんともかかわるようになりました。

平成14年12月、送電線問題が解決してお祝いの会を開催しました。
こうした運動で電力会社さんに勝つことなど普通はありえません。
勇気を持って立ち上がられたすべての皆様に敬意を表します。

悩みに悩みました

私の家族

平成20年春、仕事を通して知っていた新進気鋭の経営者であるHさんが市長に当選しました。これで市政も変わると期待したものです。そんな中、知人の市会議員が引退することになり議員になることを勧められました。定年を目前にしていたこともあり、悩みに悩んだ末9月末に銀行を退職し幸い多くの仲間のご支援を得て、11月の選挙で当選することができました。

写真は私の家族と私の兄弟、そして甥や姪たちです。こうした家族の支えが私の元気の源となっています。

すべての人々に感謝します

選挙戦

いま考えてみると銀行業務で培った営業力と人脈、情報処理会社で身に着けたコンピュータの知識、研究所で学んだ分析力・企画力・説得力などすべてが議員活動の肥やしになっています。そして住民運動の中で鍛えられた「市民の目線」と大切な仲間の存在が私を支えてくれています。

どれ一つ欠けても今の私はなかったと思います。そうした意味で私を支えていただいたすべての人々に感謝いたします。

写真は選挙事務所での後援会の皆様です。厳しい選挙戦を勝ち抜くことができたのは
何よりも後援会の皆様のひとかたならぬお力添えのたまものです。

青空

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